「台湾有事」の四文字をメディアでしばしば見聞きするようになった。しかし、解像度が粗いままで議論が進み、むやみに脅威を煽り立てたり、逆に杞憂と笑い飛ばしたりと極端な主張に終始しているケースが目立つ。
第1次ドナルド・トランプ政権で大統領副補佐官を務め、中国政策の専門家として知られるマット・ポッティンジャー氏が台湾防衛のために緊急提言する新刊『煮えたぎる海峡』(実業之日本社)の第1章「大きな試練の荒波」より、一部抜粋する。同著は、向こう数年間に起こりうる台湾有事の軍事シナリオを、徹底的に解像度を上げて具体的に分析し、日・米・台・欧・豪がいかに備えるべきかを説いた話題の書だ。
前回は中国との衝突を回避するために台湾海峡で中国軍を封じる戦略に焦点を当てたが、今回は中国抑止へ民主主義国が防衛費増大によって軍事力で強さを示す重要性を説く。(全4回の4回目)
最後に、複数の戦争が同時発生した場合の抑止について述べておきたい。
2023年10月19日――イスラエルがいくつかの前線で戦いを展開するのと時を同じくして、米軍とイラン代理勢力はシリアとイラクで戦火を交え、ウクライナは国の存亡を賭けた戦争を2年近く続け、北朝鮮はプーチンの軍事機構に武器や弾薬を供給していた―― に、バイデン大統領はホワイトハウスの執務室から粛々と演説を行った。大統領は、「われわれは歴史の変曲点に直面している。今日の意思決定が数十年先までの未来を決定することになる、歴史的瞬間だ」と、語り始めた。
このときは中国についての言及はなかった。とはいえ、演説のなかでバイデンが糾弾したロシア、イラン、北朝鮮といった失地回復主義(訳注/戦争などによって奪われた自国の領土を奪い返そうとする思想)の専制国家にとって、北京がプロパガンダの原動力であり、経済的、外交的支援国でもあることは確かだ。
中国はモスクワ、テヘラン、平壌に対する支援の範囲を公にしていないが、不都合な現実を覆い隠しておくことはできない。2022年のロシアによるウクライナ侵攻直前、習がプーチンに「無制限の」協力関係を築くと約束したことや、1200人以上が殺害された2023年10月7日から3週間とたたないうちに、ロシアとイランの政府高官、テロ集団ハマスの幹部との「三者」会談がモスクワで行われたことからも、これら4つの国の目的と行動が相互関連を深めているのは明白なのだ。
日和見的に行動しているにせよ、大いなる構想に従って動いているにせよ(その両方の可能性が高い)、習がいまの状況を好都合とみなしていることは間違いない。複数の大陸で同時に起きている危機は、米国とその同盟国を疲弊させ、台湾への攻撃準備を整える余裕を中国に与えている。
実はこの数年、習もバイデン同様に世界が歴史的な変曲点を迎えたと考えていることがうかがえる発言をしている。違うのは、習の視点から見ればそれがこのうえない吉報だということだ。
「昨今の世界の特徴は『混沌』という言葉で言い表すことができ、この傾向はしばらく続くだろう」と、2021年1月に行われた高級官僚のためのセミナーで習は語った。そのとき、これは有利な展開だと習ははっきり述べている。「時と趨勢はわれわれの味方である。全体として機会は課題よりも大きい」
習が長年このために準備してきたことは、公式の文書からもわかる。「習近平思想」が盛り込まれた2018年発行の軍の教科書は「部外秘」とされているが、そこには次のような記述がある。
世界はいま、かつてない大きな移行期を迎えている。その根底にあるのが、次の四つの変化である――米国は弱体化し、中国は強大化し、ロシアは攻撃的になり、欧州は混沌に陥る。[中略]中国の国民国家が台頭し、中華民族の精神が復興している。 これは歴史的な転換点なのだ。
以来、習は、現状から恩恵を受ける者にとどまらず、みずからそれを切り拓く者としてふるまっている。ロシアとウクライナの全面戦争が始まって1年以上が経った2023年3月、ウラジミール・プーチンとの協力関係を強化するために習はモスクワを訪問した。クレムリンを去る際、習がこう言ってプーチンに語りかける姿が動画に収められている。「いま、100年間見たこともなかった変化が起きている。われわれがそれを推し進めているのだ」
中国を抑止するための現実的で有効な戦略を、欧州や中東の紛争と切り離して策定することはできない。世界で起きている危機は相互に関連しているので、その対応策にも関連性がなければならないのだ。ウクライナとイスラエルで失敗した以上、同じことをしていては台湾でも失敗に終わる可能性が高い。なかには、中国抑止を成功させるには、米国はウクライナやイスラエル、その他の同盟国に対する支援の優先度を下げなければならないという意見もあろう。確かに、優先順位付けは(下げることも含めて)戦略にとって最も重要だ。台湾の敗北を阻止するためには、必ずや米軍が直接介入し戦わなければならなくなる。この事実とそれに伴う危険を考慮すれば、米国が中国に戦争を思いとどまらせ、必要ならば戦争で中国に勝てるだけの力をつけることに軍事リソースの圧倒的大部分を注力すべきであることに、疑問の余地はほとんどない。
とはいえ、欧州や中東の紛争を軽視する戦略は、迂闊にも危機を深刻化させ、ほかの場所での武力攻撃を誘発するリスクをはらんでいる。そうなれば、習にとって明らかに好都合な世界の「混沌」は深まり、民主主義は脆弱だとの認識に拍車がかかる恐れがある。そのような状況では、たとえ中国に焦点を当てた堅固な防衛政策をとったとしても、それが効果を発揮し続けるのは難しいだろう。
いまなら、この手ごわい戦略をやってのけるチャンスはある。民主主義国にとって心強いのは、ウクライナとイスラエルの人々が第三国に犠牲を求めることなく、彼らの戦う意志と能力の強さを証明してみせたことだ。どちらかの国が敗北した場合に被る甚大な被害 ――人命や財産――に比べれば、民主主義国が経済支援や武器弾薬の供給を通じて万全の支援を行うほうが、経済的で賢明ではないだろうか。
(GDP比で算出した)防衛支出を冷戦時代の平均的な水準に引き上げれば、米国、欧州、日本、韓国、オーストラリア、その他の同盟国は、イラン、北朝鮮、そして何といっても中国などの専制国家が保有する兵器量に匹敵する新たな「民主主義の武器庫」を構築することができる。財政支出を活用し異例の方法で民間企業に働きかければ、武器製造能力を迅速に高めることもできるだろう。2020年に米国政府が民間企業と協力し、記録的なスピードで新型コロナウイルスのワクチン数億本を生産した「ワープ・スピード作戦」がよい例だ。
これらを実行に移せば、欧州や中東で国を守る戦いを続ける仲間に兵器を供給できると同時に、中国を抑え込むのに必要な軍需品も備蓄できる。ウクライナ支援のために国防省が兵器や装備品の製造ラインを稼働させ、古い備蓄品を新しいものに入れ替えた結果、中国との戦争に備える米国の調達能力が向上したことを示す証拠もすでにある。
時間は刻々と過ぎている。外交声明や公式声明も抑止策としては重要だが、台湾で地政学的悲劇を起こさないよう中国を説き伏せるカギは、軍事的ハードパワーという明白な形で強さを見せつけることにある。20世紀に冷戦を冷戦のまま終結させたのは軍事力だ。習が一か八か戦争に打って出るのを阻止できるのもまた、軍事力なのである。
写真:AP/アフロ