2025年になって早々、米国で第2次ドナルド・トランプ政権が発足するまで2週間余りというタイミングで、ジョー・バイデン大統領(当時)は、日本製鉄によるUSスチール買収を阻止する命令を出した。バイデン氏は以前からこの買収案件に難色を示してきたが、「USスチールのような米国を象徴する企業が外国企業の支配下に置かれてはならず、米国の国家安全保障を脅かす恐れがあり、それを阻止することは大統領としての責務だ」とした。
バイデン氏が買収阻止に徹したのは、(1)今後の民主党の将来(2026年秋の中間選挙を見据え、民主党の政治的立場を可能な限り有利にしたい)、(2)対中警戒感(日本製鉄は2024年7月に中国の宝山鉄鋼との合弁を解消したと発表したが、日本製鉄の中国事業には年間100万トン規模の鋼材生産能力が残るとされ、中国との関係維持への疑念が完全に払拭できない)——などがあるのだろうが、この決断は4年間のバイデン政権による経済安全保障政策に逆行する動きとなった。
バイデン政権は、中国による経済的威圧や過剰生産、不当廉売などに強い懸念を抱き、それに対処する上でフレンドショアリング(同盟国や友好国に限定してサプライチェーンを構築すること)などを重視してきた。2022年10月、軍事転用リスクを回避するため、中国に対し、先端半導体そのものの獲得、その製造に必要な材料や情報、技術の流出防止を目的とする輸出規制措置を導入したが、米国のみでは完全に防止できないとの判断から、先端半導体の製造装置で高い技術力を誇る日本とオランダに足並みを揃えるよう要請した。これはバイデン政権が進めてきた有志国による経済安全保障協力の一環だった。
しかし、世界の鉄鋼市場シェアで中国がおよそ50%を占める中、かつてトップを誇った米国は5%にも満たない。世界鉄鋼協会によると、2023年の粗鋼生産量は、日本製鉄が4位であるのに対し、USスチールは24位。日本製鉄がUSスチールを買収し、再生を図ることは両社にとってウィンウィンであるだけでなく、日米の経済安全保障協力を強化できる点でも大きなメリットがあり、バイデン政権の方針にも沿うものだ。それにもかかわらず買収阻止を決めたことは、同政権が4年間積み上げてきた経済安全保障協力を自らの手で崩すようなものだ。矛盾と非一貫性を露呈し、同盟国との間に亀裂を生んだことは間違いない。
同盟国ですらディール相手
では、再び大統領の地位に就いたトランプ氏はどう対応していくのだろうか。2月7日、石破茂首相とトランプ大統領は初の日米首脳会談を行い、USスチール買収問題も議題に上った。その評価の前に、まずトランプ大統領がこの問題についてどういった認識を持っているかを考えてみたい。
トランプ大統領の買収阻止へのこだわりは、バイデン前大統領より強いと考えられる。その理由は2つある。
一つは、トランプ大統領が「USスチール買収は国家のプライドに関わる問題」と捉えていることだ。彼は、MAGA(米国を再び偉大な国にする)を達成する上で、関税などを武器に諸外国から譲歩や利益を最大限引き出し、国際協調における米国の負担を最大限抑え、米国の政治的安定と経済的繁栄を追求する。米国が最も強い国家であることにもこだわりがあり、米国の圧倒的な優位性を揺るがそうとする中国へ厳しい姿勢を示す。こういった姿勢は就任演説からも読み取ることができ、米国という国家の核心に触れる問題ほど、排斥主義が色濃く示されるだろう。
つまり、トランプ大統領にとって、米国のかつての強さの象徴である鉄鋼業、その代表と言えるUSスチールが外国企業に買収されることは、それが同盟国であろうとなかろうと他国による経済的侵略のように映る。上述のように、バイデン前大統領が買収を阻止した背景に対中警戒感があったと考えられるが、トランプ氏は政権1期目でバイデン氏以上に懲罰的とも言える関税発動を中国へ繰り返した。「トランプ的価値観」で言えば、日本製鉄にUSスチールが買収されれば、中国に米国の弱さや衰えをさらすことにもなる。
もう一つは、「同盟国に対する認識の相違」だ。バイデン前大統領は政権末期に大きな矛盾を露呈したものの、自由や民主主義といった価値観を共有する同盟国や友好国を重視してきたことは事実である。しかし、トランプ大統領にとって、伝統的な同盟国が必ずしも同盟国になるとは限らない。トランプ氏は2024年の大統領選挙期間中、「防衛費を相応に負担しないNATO(北大西洋条約機構)加盟国をロシアの脅威から守るつもりはない」と言及し、物議を醸した。同盟国でも、単なるディールの相手としか認識されない国も出てくるだろう。今回の買収阻止について、日本国内では「同盟国の企業による買収を安全保障上の理由で阻止するのか」という対米不信論が広がっているが、同盟国を「普通の外国」のように位置付けるトランプ大統領にそれは理解されないだろう。
USスチールは「例外」?
こうした姿勢は2月7日の日米首脳会談でも明らかとなった。トランプ大統領は日本製鉄によるUSスチール買収計画について、「所有ではなく多額の投資で合意した」とし、「USスチールは米国にとって非常に重要な企業であり、USスチールが去るのを見たくなかったし、そうした考えは心理的に良いものではない」と述べた。やはりトランプ大統領が日本製鉄によるUSスチール買収阻止の姿勢を覆すことはないだろう。会談後の2月9日、トランプ大統領は、外国の誰もがUSスチールの株を過半数保有することはできず、USスチールが外国企業に買収されることはないとの意思を改めて示している。
しかし、今回の会談では、日本が2019年以降5年連続で最大の対米投資国であることをはじめ、経済面でも両国が緊密なパートナーであることが確認された。石破首相は対米投資額を「1兆ドル(約150兆円)といういまだかつてない規模」まで引き上げ、そのために共に取り組んでいきたいとの意思を伝え、トランプ大統領は日本企業による対米投資を強く歓迎する姿勢を示した。また、日米におけるビジネス環境を整備して投資・雇用を拡大していくこと、AIや先端半導体などの技術分野における開発で世界をリードしていくこと、日本が米国産LNG(液化天然ガス)の輸入を拡大していくことなどでも一致し、経済分野では明るい兆しが見えたと言えよう。
対米投資の拡大や米国産LNGの輸入拡大はMAGAにフィットするものだ。米国経済に貢献し、対日貿易赤字の削減にもつながれば、日本が「名指し」の追加関税に直面するリスクが低減され、安全保障分野でもトランプ大統領と良好な関係を築けるかもしれない。
実際、石破首相は今回の会談で、「米国は日本の外交・安全保障にとって最も重要な国であり、トランプ大統領との間で日米同盟をさらなる高みに引き上げ、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて共に協力していく重要性を共有した」と明らかにした。日米同盟の抑止力・対処力を高め、地域の戦略的課題に緊密に連携しながら対処していくことでも一致。トランプ大統領は、核を含むあらゆる能力を用いた日本の防衛に対する米国のコミットメントを強調し、米国が日本の施政下にある領域を守る義務を負うことを定めた日米安全保障条約5条が尖閣諸島に適用されることも改めて確認したという。
初の首脳会談は成功も、続く「トランプディール」
今回の会談では、日本製鉄による買収が米国の核心的利益に触れる問題であることが鮮明になった一方、その他の経済面では日本が世界最大のMAGA貢献国になろうとしていることに歓迎の意が示されたこと、安全保障面では予想以上にトランプ大統領から日米同盟、アジアへの関与を示す踏み込んだ言及があったことは大きな意義があった。
日本企業の間では2024年秋の大統領選以降、石破・トランプ関係が不安視され、さらにバイデン前大統領によるUSスチール買収阻止が決定されたことで、今後の対米投資などへの懸念が強まっていった。しかし、今回の会談によって日本企業の対米姿勢はかなり前向きなものになることが予想される。実際、筆者周辺で対米ビジネスを手掛ける複数の製造業者は、「完全に安心できるわけではないが、日本を直接標的とした名指しの追加関税が発動されるリスクは低減した」と、対米投資やビジネスを拡大していく姿勢を示している。今回の会談から判断する限り、USスチール買収を巡る米国の排外的姿勢は例外的なケースだと考えられる。日本企業は、トランプ政権下でも米国とのビジネスチャンスがあるという認識を持つべきだろう。
しかし、トランプ政権は日米首脳会談後、関税負担が相手国と同等になるような相互関税の導入を示唆した。これまで、日本が米国から輸入する自動車などの工業製品はゼロ関税か、低い関税率となっている。一方、小麦や牛肉などの農産物の一部には高い関税がかけられており、トランプ政権がこれを貿易不均衡と位置付け、日本から輸入している農産物に同等の関税率を導入してくる可能性が考えられる。加えて同政権は、自動車に関する環境規制などの非関税障壁も問題視しており、自動車分野についても何かしらの「ペナルティー」が科されるリスクがある。また、特定国を狙った関税だけでなく、国家を特定しない一律関税を導入してくることも考えられる。米国と取引がある日本企業としては、今回の会談を前向きなものと捉える一方、相互関税などの行方には注意が必要だろう。
提供:White House/Planet Pix/ZUMA Press/アフロ
地経学の視点
第1次トランプ政権時は、安倍晋三元首相がトランプ氏と親交を深めたこともあり、日米関係は比較的安定していた。一方で、USスチール買収問題が懸案となる中、今回の首脳会談が初対面となる石破首相がトランプ大統領との交渉をうまく進められるか不安の声もあった。
結果的には、石破首相が対米投資や輸入拡大など、日本の「MAGA」に対する貢献をアピールし、USスチールを巡っては決裂を避け、「買収」ではなく「投資」で折り合った。石破政権はトランプディールの「第1ラウンド」は無難にしのいだ。
だが、首脳会談後、トランプ大統領は相互関税や非関税障壁を持ち出し、さらなるディールを仕掛けている。対象国など詳細は今後公表するとしつつ、輸入自動車への追加関税について「25%前後」を課す考えを示し、日本車が対象になれば現在の2.5%(乗用車)から10倍程度に引き上げられることになる。また、日本製鉄はUSスチール買収の構えを崩しておらず、米国との交渉は続く。
トランプ大統領は不確実性を「武器化」し、以前にも増して力ずくの外交方針をとっている。米国の国際協調姿勢が薄れたことを嘆くより、現実を直視することが先決だ。トランプディールは終わらない。石破政権は「米国にとっての日本の価値」を問われ続けることになる。(編集部)