生成AIが目覚ましい発展を遂げる中、AIとゲノム解析の融合に注目が集まっている。膨大で複雑な遺伝子情報をAIで迅速に解析することで、病気の予防や治療の飛躍的な向上が期待される。他方で、遺伝子の解析・編集が容易になることで悪用のリスクも懸念される。AIとゲノムに関する著作もある、北海道大学の小川和也客員教授に聞いた。(聞き手=実業之日本フォーラム編集部:山下大輔)
――AIとゲノム解析の融合が注目され始めています。
要因としては、ゲノム解析のコストが下がってきているということがあります。AIとハードウェアの進化が後押しして、コストを下げると同時に速度と精度を上げています。いわゆる次世代シーケンサーと呼ばれる、優れた遺伝子配列分析システムも出てきています。米国では「100ドルゲノム」と言って、100ドルで人間のゲノム解析を実現することを目指すベンチャー企業も生まれてきています。個人が血液検査をする感覚でゲノム解析できてしまうわけです。
――現実として世界ではAIを駆使したゲノムの解析や編集がなされているのでしょうか。
着実に増えています。特許技術を多く持っている米国や中国などでは、AIとゲノム、両方の技術を同時並行で成長させています。今のところ、ゲノム解析やゲノム医療・創薬などの事例が目立ちますが、AIを活用したゲノム解析や編集のように、この2つの技術が同時に存在し、成長している意味は大きいです。
AIとゲノム解析は相性が良い
――日本国内ではどうでしょうか。
日本でもがんの遺伝子情報に基づいて治療を行う「がんゲノム医療」の動きが活発になってきています。がん遺伝子パネル検査などが実施できる施設も増えていますが、これからがん以外の様々な疾病の治療に広がることや保険適用が進むことが期待されます。近い将来、医療分野ではゲノム解析によるパラダイムシフトが起こってくると思います。
ゲノム医療の特徴の一つは、患者ごとの遺伝子情報をもとに最適な治療を選択する「個別化医療」です。ゲノム解析をすることで、病気の原因解明や未来に発症し得る病気の予測などの精度が上がり、標準治療の中核を担うようになると考えます。
新型コロナウイルスの流行時に、その可能性を示している面がありました。未知なるウイルスが脅威となる局面でもゲノム解析は有効です。実際、ゲノム解析とAIを駆使するアプローチが世界的に認識される大きなきっかけとなりました。医療機関や国、研究機関などが、そのデータをクラウド上で共有すればデータの質量が向上し、分析の精度が高まるでしょう。コロナ禍を通じて、こうした流れを加速させたと思います。
――やはりAIとゲノム解析は親和性が高いのでしょうか。
遺伝子の情報は多く、複雑です。AIは複雑な計算を得意としているので、この複雑で大量のデータをAI技術で解析すれば、とても大きなパワーになります。AIによってゲノム解析速度、精度、コストが飛躍的に改善されたことは既に明らかですし、これから加速の一途をたどるはずです。
ゲノムもAIも技術自体は相当昔からあったわけですが、それぞれのレベルが同等に進化し、高いレベルで合致しているところが大きいのです。どちらかが立ち上がっていなかったり遅れていたりすると、2つの技術の掛け算のインパクトを出せませんので。
AIの「ブラックボックス問題」と見える化
――AIとゲノムが掛け合わされることで生じるリスクも出てくると思います。
そもそもデータ自体がナーバスな個人情報です。その漏洩リスクやサイバーテロの標的になるリスクも高いです。クラウドであろうとなかろうと、ゲノムがデータである以上、そこを攻撃される恐れがあります。中国発AI「ディープシーク」も早速攻撃されたという報道があります。目立てば目立つほど、サイバーテロの標的になるリスクは非常に高いです。ここは諸刃の剣なのでしょう。これまでの人類の歴史を振り返っても紛争のない時代はほとんどありません。残念ながら「紛争なき世界」というものの実現可能性が低いとすれば、これからAIとゲノムが自国の優位性を高め、他国に対して牽制する武器にもなっていくと思われます。
ゲノムを編集することで、人間を操作できてしまうとすれば、それこそ倫理の問題や差別にもつながってきます。それが故に、AIとゲノムの両技術を持っている国が分断を進めたり、紛争を他国で起こしたりして悪用する国家が出てくる可能性はあります。AIとゲノムに関して言えば、医療以外の利用として、遺伝子改変による人間のエンハンスメントも技術的には可能となります。国家や組織にとって都合良い人間を作ることが、倫理的に見ても良いことなのか――。そういった話にもなると思います。
これは医療に限りませんが、AIの「ブラックボックス問題」もあります。解析のプロセスを見える化をしないと、医療で使おうと思っても、ドクターも患者に説明ができなくなるわけです。説明可能なAIが必要であることは以前から言われているわけですが、命を預かる医療分野では特に求められます。AIが出した答えをAIがチェックするという構造が幾重にあったとしても、最後はそれを使う側の人間が説明できないとAIに依存するリスクが高まります。例えば、サイバーテロによりアルゴリズムを改変されてしまうと、間違った解析をする可能性があり、結果的に100%依存するリスクもあるのです。
――著書の中では食料生産や食料安全保障についても触れられていると思います。
ゲノム編集は、人間だけでなく、生物、食品も対象となります。実際、遺伝子組換え食品、ゲノム編集食品などが、当たり前のように流通しています。
これから地球環境の変化が激しくなり、気候によって安定的に食料を作れなくなる国が出てくる可能性があります。そうなった時に、食品へのゲノム編集技術応用力の差異により、需給バランスの不均衡、不平等が生まれるかもしれません。それが国家間の争いの火種になるリスクも出てきます。
国家間の格差と悪用リスク
――AI技術の差で国家間の格差が生じてくるようにも思えます。
今後、国家間の紛争の鍵を、AIとゲノムの技術力が握るようになっていくと思います。もうすでに国家間で差がついている状況にありますが、2つの技術格差が国力の差として顕著になってくると、紛争の原因、手段になりかねません。どのような領域においても国際協力が必要なことだらけなわけですが、埋まらない溝や分断はつきものです。AIとゲノムは、その溝を相当深めてしまう威力を持っています。
この2つの技術が広がれば広がるほど悪用リスクも高まります。世情が不安定な国家がその技術を手にすると「悪用してしまえ」ということも起こり得ます。だから、技術が広がるということは、逆に言うと悪用リスクも広がるっていうことになるのです。
――ディープシークのように割安で生成AIを作れる時代にもなってきています。
AIやゲノム技術を閉鎖的に開発して使っていくとなれば、ある特定の国だけのためのAI、ゲノム解析ということになっていきます。ディープシークに関して言えば、中国発のものでありながら海外でも使えることで、ある意味脅威に感じる人や国があり、データを与えることを懸念するわけです。一方、クローズであればクローズなりに怖い面があって、特定の国の中だけでAI技術やデータが蓄積されてしまうということになり、そのブラックボックス化が国際分断の源になり得るわけです。
いずれにしても、AIとゲノムの技術は国際的にオープン性と協調が最も求められる分野です。意図的に技術的な封鎖やゲノムデータを囲い込む国が出てきてしまった場合、技術やデータ、成果がその国家単位で分断されてしまいます。独占リスクが非常に大きい技術であり、特定の国が特別な技術を権力化していくことになれば、国際秩序に悪影響を及ぼす可能性もあります。
AI搭載兵器がこれからのスタンダードになり、ゲノムがバイオテロ、生物・化学兵器に悪用されるリスクが高まっています。AIとゲノムは、デュアルユース(軍民両用)により紛争のキラーツールになる懸念もあります。
最悪のケースは「人類滅亡」
――リスクを防ぐことは難しいとは思いますが、やれることがあるとすれば何があるでしょう。
いずれの技術もデータが素材である以上、学習データセットが存在し、そうしたデータへのバイアスが生じる可能性があるため、検証し合う必要があります。具体的には、誰かが意図的にバイアスをかけていないか、客観的に見てバイアスがかかっていないかなど、データセットをしっかりと監視し続けることです。悪意のあるデータの混在を防ぎ、チェック機能が正常に稼働していることが必須となります。
AIとゲノムこそ、分断なきプラットフォームを世界で作っていこうというマインドが求められると考えます。人間を豊かにする可能性を持った技術なのに、悪用されることでネガティブなエネルギーが働いてしまうと、本当にもったいないことです。だからこそ、そういうプラットフォームを世界が協調してポジティブに作っていく必要があると思います。
希望も込めてとなりますが、このテーマによって世界の協調が深まることを期待しています。最悪なケースは、逆に人類の滅亡につながりかねません。この滅亡は、AIとゲノム技術により人間自らを過剰に書き換えるようになり、その歯止めも利かず、ホモサピエンスと見なせなくなってしまうことを指します。そのような分岐点を迎えてしまうか否かが、われわれホモサピエンスに問われています。AIとゲノムという、人類の未来を大きく左右する技術を同時に手にしたことによって、世界が大きく発展するかもしれないし、人類が滅亡してしまうかもしれません。ゲノムとAI技術の掛け合わせは、それくらい強力なインパクトと同時にリスクをはらんでいるのです。
小川和也:北海道大学客員教授、グランドデザイン株式会社代表取締役社長
北海道大学 産学・地域協働推進機構 客員教授として人工知能研究。専門は、人工知能を用いた社会システムデザイン、Virtual beings。2014年AIスタートアップのグランドデザイン創業、2024年大阪市AIガバナンスアドバイザー就任。著書に『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)、『人類滅亡2つのシナリオ』(朝日新書)など。
地経学の視点
ディープシークの登場は世界に衝撃を与えた。発表が事実であれば、生成AIを低コストで開発できることを示したことになり、国家間でのAI開発競争の激化を予感させる。なかんずく、表面上はAI開発で先行していたかに見えていた米国にとっては衝撃だったとみられ、米中対立の新たなファクターになる可能性もある。
そのAIとゲノムの融合はわれわれの未来に希望と不安をもたらす。倫理の問題や国家間格差、そして紛争などへの悪用リスク。新興技術が誕生するたびに、人類はその負の側面を抑えながら、有効活用することに四苦八苦してきた歴史がある。そして、その試行錯誤は必ずしも奏功してきたとは言えず、AIとゲノムについてもこれらの教訓を生かしていく他ない。
小川氏が指摘するように、AIとゲノムの融合は、医療面など人間が豊かになる可能性を多く秘めている。不安が残るという理由でいたずらに過度な規制をすることは、救える命や難病に苦しむ人々を救う手立てを摘んでしまうことになりかねない。世界があらゆる確執や葛藤を乗り越えて、ただ人類の希望ある未来のために新たな技術を使いこなせるか――。この非常に重い問いかけに、われわれは答えていかなければならない。(編集部)