日本のエネルギー政策の方針となる「第7次エネルギー基本計画(エネ基)」が2025年2月18日に閣議決定された。これまで依存度を減らすとしてきた原発を最大限活用する方針に転換し、2040年度における電源構成をベースシナリオで「再生可能エネルギー(再エネ)4~5割」「原子力2割」「火力3~4割」とした。一方、第7次エネ基と同日に閣議決定された「地球温暖化対策計画」を見ると、国際公約してきた脱炭素目標からは後退している。エネルギー政策の専門家である橘川武郎国際大学学長は、「日本は(産業革命以前に比べて世界の平均気温の上昇を1.5度に抑える)『1.5度シナリオ』のコミットを事実上取り下げた」と主張する。その真意を聞いた。(聞き手:鈴木英介=実業之日本フォーラム副編集長)
――日本が「1.5度シナリオ」を事実上取り下げたと主張される理由を教えてください。
図表1の日本政府の温室効果ガス(GHG)削減目標の変遷を見てください。第7次エネ基と同時に閣議決定された「地球温暖化対策計画」では、削減目標は明らかに後退しています。
【図表1】最近の日本におけるGHG削減目標の変遷
(1)2021年4月 | 菅義偉首相(当時)が「2030年度にGHG排出を2013年度比46%削減」を表明 |
(2)2023年4月 | 札幌の気候・エネルギー・環境相会合の共同声明で「2035年度にGHG排出を2019年度比60%削減」を盛り込む |
(3)2025年2月 | 地球温暖化対策計画で「2035年度にGHG排出を2013年度比60%削減」に。 |
これまでは1.5度シナリオに沿った流れでした。図表1(2)の2035年度における「2019年度比60%削減」は、(1)の2013年度比換算では66%削減に相当します[1]。(1)と比べて(2)では、達成期限は2030年度から2035年度に延びるとはいえ、削減比率を46%から20ポイントも上積みしたのです。
一方、AIの急速な進展でデータセンターや半導体工場の新増設が見込まれ、電力需要は増える見通しです。こうした中、2024年11月の米大統領選で気候変動対策に後ろ向きなドナルド・トランプ氏が勝利したことで、日本政府は脱炭素の目標を後退させる2つの調整を行ったのです。
1つが、2035年度のGHG削減目標を「2019年度比60%削減」から「2013年度比60%削減」に置き換えたこと。2013~19年の間にGHG排出量は減っているので、目標を後退させたことになります。
ただ、「事実上」と断ったのは理由があります。地球温暖化対策計画の関連資料(図表2)を見ると、「2013年度比60%削減」は、薄いピンクの「1.5度に抑える経路の幅」のギリギリ上限に位置しているからです。もっとも、それまで1.5度シナリオに幅があるなんていう話はなかったし、2035年度について言えば、本来は図表2の赤の破線上の点付近が従前の1.5度シナリオに沿った「2019年度比60%削減」の到達点だったはずです。
【図表2】次期GHG削減目標

不可解な「技術進展シナリオ」
もう1つの調整は、第7次エネ基ではベースシナリオに加え、想定より脱炭素が進まないリスクシナリオを追記したことです。しかもベースシナリオでさえ4つ(「再エネ拡大」「水素・新燃料活用」「CCS活用」「革新技術拡大」)もあります。そもそもエネ基の目的は、政府が最も確度が高いと考える単一のシナリオを示し、電源開発や燃料調達の投資判断の目安を示すことです。複数シナリオを用意すると、目安を提示することができないので、エネ基を策定する意味がなくなります。
これに対して追記したリスクシナリオは、投資判断の目安を示す単一シナリオです。政府は、このリスクシナリオを「技術進展シナリオ」と名付けました。実は水素などの革新技術が進まない場合を想定した「技術不進展シナリオ」であるにもかかわらず、「既存技術が進展したシナリオ」という屁理屈で、「技術進展シナリオ」と命名したわけです。
ベースシナリオでは、2040年度における電源構成の見通しは「再エネ4~5割」「原子力2割」「火力3~4割」です。これに対して「技術進展シナリオ」では、原子力は2割のまま、再エネが35%に下がる一方、火力が45%まで上がります。つまり、火力が電源の主力になるわけです。再エネ見通しについて見れば、前回の第6次エネ基は2030年度で「36~38%」。今回の「技術進展シナリオ」では、10年先の2040年度の見通しであるにもかかわらず、「35%」に後退しているわけです。
――トランプ氏が大統領選で勝利しなければ、日本の脱炭素目標は維持されたのでしょうか。
民主党のカマラ・ハリス候補が勝った場合には、「2035年度にGHG排出を2019年度比で60%削減する」という目標は堅持されていたことでしょう。ただし、その場合でも、2040年度の電源構成見通し自体には変化がなかったでしょう。そもそもベースシナリオ自体に大きな幅があるからです。
第6次エネ基も電力構成割合にも幅はありましたが、その差は2ポイント。しかし第7次では、再エネ・火力はそれぞれ10ポイントも幅があります。「複数シナリオを提示する」という方針は、岸田文雄前政権下ですでに公言されていました。その上にトランプ氏が勝ったので、カーボンニュートラル(GHG排出と吸収を差し引きゼロにすること)への取り組みを後退させる「技術進展シナリオ」も加えたわけです。
結局、政府が今まで掲げてきた野心的な脱炭素に向けた電源構成見通しが想定通りに進捗してないということでしょう。もちろん、「技術進展シナリオ」は国際社会の理解を得られる内容ではありません。ただ、そこはトランプ政権が守ってくれます。彼が政権で力を持っている間は米国の影に隠れ、日本は直接的な批判を受けずに済むでしょう。
つまり、第7次エネ基は、ベースシナリオを複数用意して投資判断の目安としての意義を失わせたばかりか、トランプ勝利を見てさらに脱炭素への姿勢を後退させたリスクシナリオまで策定した。こうしたことから、「日本政府は1.5度目標を事実上取り下げた」と言える、ということです。
写真:AP/アフロ
[1]2013年度から2019年度にかけて日本のGHG排出量は14%減少したため。
(第2回に続く)
橘川 武郎:国際大学学長。
東京大学社会科学研究所教授、一橋大学大学院商学研究科教授などを経て2023年から国際大学学長。経済産業省資源エネルギー庁の多くの審議会の委員を歴任した。東京大学・一橋大学名誉教授。著書に『東京電力 失敗の本質』(東洋経済新報社)や『エネルギー・トランジション 2050年カーボンニュートラル実現への道』(白桃書房)など。
地経学の視点
「グリーンか非グリーンか」という二元論的な脱炭素政策を掲げてきた欧州と異なり、日本は全ての産業を徐々にグリーンの道筋に載せていく「トランジション(移行)」という戦略で気候変動対策を進めてきた。ウクライナ戦争に伴うエネルギー安全保障への高まりを背景に、欧州は急進的な政策の見直しを迫られ、第2次トランプ政権は気候変動対策の国際的な枠組みである「パリ協定」を再び離脱した。現実路線の日本のトランジションが説得力を持ち始めているようにも見える。
しかし橘川氏は、「第7次エネ基は穴だらけだ」と厳しく批判する。電源構成の将来シナリオが複数示され、電源開発や燃料調達の投資判断の目安としての意義は薄れた。安全性の高い次世代炉の新設を目指しながら「最大限活用」を打ち出した原発も、現状では経済合理性に乏しい。
日本の唯一の同盟国である米国はエネルギー輸出国に転じて自国優先主義を強める一方、日本と一衣帯水の関係にある中国は非西側でありながらもエネルギー安保では共通の課題を抱える。脱炭素を成長戦略の軌道に乗せつつ、米中の間でいかに実利を得ていくか。エネ基策定後こそ、精緻なかじ取りが政府に求められる。(編集部)